お久しぶりです。
以前、世界を救う方法を片手間に考える、というテーマの記事をいくつか投稿したことがあります。
今回は、その派生といっていいのか分かりませんが、昨今巷を賑わせているコロナウイルスについてお話ししたいと思います。
コロナウイルスについて
コロナウイルスがどういったものなのか、という点については、世界各国の研究者や企業がこぞって研究をしている只中であり、門外漢の私には憶測や推論で語ることはできません。
しかし、少なくとも、ここ数十年で最悪のパンデミックであることは間違いなく、間違いなく戦いの歴史として教科書に載るような大きな事態といえそうです。
2020年といえば、シンギュラリティ(技術的特異点)や2020年問題など、コロナ騒動が始まる前からある種のターニングポイントとして、世界的に重く見られてきましたが、今回のウイルスの世界的流行は、多くの人にとって、まさに寝耳に水といった状況でしょう。
歴史は幾度繰り返されるのか
細菌やウイルスによるパンデミックは、古代から現代に至るまで、幾度となく繰り返されてきました。
このパンデミックを戦争と捉える知識人も多くいますが、武力戦争とパンデミックの大きな違いというのは、明確な終わりが存在しないということです。
例えば、ペストで亡くなる方は未だに存在しますし、黄熱病も未だに存在します。
「終息」というのはあくまで一応の落ち着きといった意味合いであり、今後もウイルスや細菌といったものは私たちの世界に残り続けるのです。
日本人のモラルについて
では、身近な問題として、我々が住む日本という国にフォーカスを当ててみましょう。
どこの国でも同様かとは思いますが、自国民について、悪く言うようなテレビ番組や政府など、ほとんど存在しません。
中でも日本人は、その行いを美談として周りに周知しようとする場合が多いですが、それ故に自分たちの持つ負の側面について、あまり認識することができていないのではないかと感じます。
私が日本人のモラルについて疑問を持ったのは、ほんの些細なことでした。
私自身は、家から歩いて45分ぐらいの企業に勤めているのですが、朝の出勤が比較的早いということもあり、普段は自転車通勤をしています。
それは雨が強く降る日のことでした。
私は合羽を着用し、いつも通り会社に向かおうと自転車をこぎ始めました。
しかし、街中で出会う自転車に乗っている人の、体感で6~7割ほどが、傘を差したまま自転車に乗っていたのです。
もしも風が強く吹いて傘が飛ばされたらどうするのでしょう。
その傘が誰かに当たり、怪我を負わせるという考えにも至らないのでしょうか。
このような光景を目の当たりにするにつれて、私は自身が何度も伝え聞いた日本人の美談とはなんだったのか、考えるばかりでした。
外出自粛を、今一度考える。
「外出自粛」「3密」
こんなキワードをメディアがこぞって報道し、誰しもが認識するようになりました。
しかし、多くの人が認識はしていても、意識していないように感じます。
私自身、どうやってもテレワーク不可能な業種(食品関係)に身を置いているものですから、通勤以外ではなるべく外に出ないように心がけています。
ですが、街中を見れば、どう見ても働いていない年齢の子供が数人で自転車に乗って騒いでいるのが目に留まります。
確かに、若年層の発症率は、高齢者に比べると低くなっているようですが、自分が発症しないとしても、感染源になってしまう可能性はあるのです。
また、ある場所では60~70歳代と思しき方たちが意味もなく、大勢集まっています。
そして、彼女たちはこう言います。
「自分たちはそう長くないから、好きに生きたい」
その無責任な言動は、あなたたちが散々罵ってきた「近頃の若い者」の模範となれるのでしょうか。
コロナ終息後の世界に想いを馳せる
コロナの終息がいつになるかは分かりません。
2年かかるかもしれないし、1年かもしれないし、もしかしたら半年後には終息しているかもしれない。
それは途方もなく長く感じるかもしれませんが、人生の、ほんの一瞬にすぎません。
人間は、120歳まで生きることができる可能性を秘めているそうです。
そこに当てはめれば、2年間というのは2時間映画で言うところの2分間にすぎません。
この期間を耐えきらなければ、我々の生活は元に戻ることはありません。
そのためにも、まずは自分のできることから。
ウイルスに勝って、皆が笑える日がくることを、心から願います。